長く書かなかった理由

アフリカの記事で次のように書いた 1.長らく書かなかった。その理由は、多くありすぎて言う必要もないと思っていた。 1)新しい世代が育ち、私が書くべきことが限定されてきたこと。 ベンチャーについては、泉田さんのブログを読めば良い。 新しい起業家も育ってきた。 サムライインキュベートがアフリカまで進出してくれたのか嬉しかった。 2)自分のロールをもっと際立たせる必要があったこと。 同じことをやり続けることはできない。 そこで、私はリーガルテックの起業をし、色々とやってみた。一人でやることの限界を感じた。 一人で、やるにはなにもかもが、重すぎた。 雇えば良いのだが、フランス語と英語をできる弁護士をやとうというのも骨が折れた。 アフリカへの事業化の夢(私がやるべきことはインキュベーションセンターをアフリカ各地に立てること)は潰えたように見えた。 諦めの悪い私は、それでも方法を模索してきた。 2.本日書こうとした理由は、大体解が見つかったからだ。 アフリカはやりつつけるが、アフリカへのリーチのみちが見えてきた。 真似をされてもいいので、書くがE-govをすすめること リーガルテックの中に、E-govがあると認識している。これはエストニアを例として出せば分かる。ここでわからない人は、グーグルでエストニアとe-govを調べれば良い。 そのために、自分の信じる道を貫き通す。それだけだ。 Advertisements

自動運転における考え方

https://gigazine.net/news/20180322-uber-accicent-driver/ 自動運転における考え方 1)人間を超えるか おそらく人間の能力は超えることができる。事故率は、人間よりも低くなると考えてよい。 2)人間と機械のいずれが責任を負うか。 無人列車がいるとして、だれが刑事的な責任を負うかと言えば、整備会社の社員、オペレータ(全員自然人)などが考えられる。そして、民事的には、所有者と管理者(つまり法人のライン)になろう。民事的には最終的に保険で収束すると考えられる。 現行の自動運転の場合、刑事的な責任は、運転手であろう。 避けられたかと言えば、こういう道は危険と認識する直観力を持てるかが問題。混んでいる道よりも突然の歩行者は良くあるパターン。 避けることができたかと言えば、徐行して避けることができたと裁判官なら判断するのではないだろうか。人を殺しておいて、罪に問わない正当化要素はあまりに少ない。 今の制度は、運転者に厳しく対応する状況であることを認識すべき。高速道路など、歩行者が歩くことが予測できない状況ならいざ知らず、自動車運転手はその他の道についてすべて注意を払う義務があると認識すべき。 不可抗力などが認められることは少ない。 自動運転に頼る運転手は、自分が事故を起こす可能性がある認識(危機管理)が薄れることに留意すべきだ。すべての責任は自分にあると認識し、車を運転するしかない。   3)法律を変えるべきか 以上の現象は、田舎の実情に合わない。責任論は自動運転を使用する人間に厳格な状況で、統計論は自動運転の方が好ましいというギャップが生じる。 事故を防止できる可能性が明らかに自動運転による方が高く、かつ、自動運転を推進することが将来的な国家利益につながるにもかかわらず、法律はそうした見方をしない。よって、法律を変えて、自動運転を推進するべきだと考える方も多くいるであろう。それは田舎の高齢化問題を直視すると現実のニーズがある。   政府はどう判断すべきなのだろうか。 1)わずかな事故に右往左往されず、保険によって手厚くフォローすることで、自動運転を支持する方向にしてデータを取っていく。 2)許せないという国民感情を尊重し、産業を取りに行くのをあきらめる。   自動運転の流れは不可避であり、1)にならざるを得ず、国民の利益を如何に得ていくか戦略的なプロモーションが必要になるであろう。

新しい経済とKPIの変遷

貨幣経済に変わる物(まだ、検討中) 1)普遍的に信用の源泉となりやすいもの ・やる気(集中力) ・時間 ・エネルギー ・優秀な人 これらは、有限なので、ジンバブエであろうと、宇宙であろうと生き延びることができる。これらは、信用価値の源泉と考え、利用すべきものになろう。これらが利用できない人間は絶対成功しない。 2)以上の信用の価値をインベストするにも、KPI化しなければ、正しく力を発揮できない。優秀な人間がいても、正しくKPIに沿って、動かなければ、信用蓄積にならない。 残念ながらそのKPIは、過去と大きく違い、大きなうねりを見せている。携帯、仮想通貨、その他のゲームチェンジャーが、信用の流れを大きく変えている。大きい分野で言えば、中国のゴマ信用である。そして、個別的なもので言えば、facebookのいいね、air bnbやuberなどの信用の蓄積である。 実際には、既成の技術の組み合わせを別の分野で使うことで、イノベーション普及はされるので、最新技術を知ることよりも、最新技術から流れを読み取りつつ、既成の技術の組み合わせから、売り方利用のされ方(マーケットアウト)を考えた方がはるかに効率が良い。 KPIは、その売り方まで考えて設計する必要があり、 投資する際に、1情報の非対称性を考えた希少情報、2偶発性(部分最適から全体最適に移り変わりやすいタイミング)を考慮する必要がある。 新聞を読んでいてそのことが公知の情報であっても、そのエリアにいなければ気づかない利用できる情報も希少情報と呼んでもよい。業界の反発を食らえばアウトになることも考慮し、いつ頃に全体最適まで持ってい行けるかを針の穴を通すようなKPI設計(ここはマネジメントレベルかもしれない)が必要になるかもしれない。その際に、大事なのは、アイデアではなく、イシューを探せの領域と、徹底的な実行。 3)人が消費したいと考えるエリアは、安全、健康、行きやすい、孤独でない。そして、絶対に避けるエリアは損しそうなエリアである。根源的に損をしたくない性質を人間は持っている(ギャンブルと依存事業は別)。プロダクトを作る際には、以上の価値を考慮しつつ、損をさせないということを注目すべきであり、売り方印象の与え方がほとんど99パーセントを決めると言っても過言ではない。

暗号通貨とスマートコントラクト、そして法律家

(暗号通貨の行方について) 様々な人が、小さなコミュニティをパラレルに生きていくとの主張をしていた。見たことがないため、理解ができない社会だ。 それが、少しずつだが分かってきた。お金2.0には記載されていない事項 https://www.houdoukyoku.jp/posts/24051   (歴史) 歴史をたどると、ものを奪い合う社会。力では安定しないので、一定の神を使って、人々をまとめ上げる社会。残ったものを一緒に食して、次の豊作を祈る。不作の際は、誰から奪う時代。神と神との争いをする時代。神の統一的な紛争という形で、私利私欲がジハート(聖戦)になる。争いだけをしている限りでは、金銭は発生しないだろう。しかし、貸し借りをちゃんとするという意味で、金銭が生まれたのだろう。その土地その土地の金銭が生まれ、物々交換をしつつ、お金の流通もしていった。金銭は弱い部落にとっては、支配を金銭的な拘束にとどめるのに役立ち、かつ、広範な地域を有する統治者にとっては広範な地域を持つだけのインセンティブになったのだろう。秦が統一的な物差しと金銭を持ち出したことで、漢及びその後の社会の円滑な商業への貢献は計り知れない。 なお、気をつけなければならないのは、金(キン)は存在しても、人が介在しなければ単なる物質にすぎないことだ。人が、キンを評価したに過ぎない。そうした評価を与えるのに必要なのは幻想という、まとまりが必要になる。 (礼、秩序) 礼は、宗教でもあったのではないか。まず、先祖に対する礼(神)はその部族のまとまりを大きくしてきた。そして、一神教は、その信じる者の力をまとめる効果があった。 勿論、ヨーロッパでキリスト教があったのに、複数の国があり、矛盾していると主張されるだろう。しかし、ローマ時代においては一つにまとめ上げる効果はあり、かつ、その後は各々の国においてまとめ上げる効果として宗教が使われた。イギリスの国教はまさにそうしたものである。プロイセンが独自の発展を遂げたのはプロテスタントの力(聖書を深く理解した知的階級が育った)もあろう。中国では、儒教が大きな役割を果たし、のちに老子の思想と結びついて、国家は流転した。それによって貴族の社会から巨大な官僚国家(科挙をベースにする)に変化していったように思われる。 (国家の意味) その当時国が現代の意味であったかと言えば、領主がいて、それを前提としたのだろう。陳は国家であるとしたルイ14世はその意味で想起される。それ以前は、国という訳ではなくて、其々の人が領地をもっていてその結合体として、国王がいたのかもしれない。 国を一番意識させたのはナポレオンではないかと思われる。その時に総力戦という形で、国民が国のために戦うという宗教ができた。 (貨幣経済) 日本では、信長以前と以後が興味深い。信長以前は土地(物々交換)というものが価値を有していたのにたいして、それ以後は金銭による交換が重要になってきた。なお、そうはいっても徳川時代にいって、外国との貿易のことを考えると、資本主義と言えるかと言えると、そうでもないのかもしれない。 ヨーロッパは、あまりよく分からないが、キリスト教という流れからすると、金は汚いものという目で見てきたのかもしれない。但し、メディチ家がでたり、イタリアでは貨幣経済は一定程度機能したように思われる。胡椒を取るには、アラビアとの貿易が不可欠だからだ。また、ドイツでは、プロテスタントという形で、勤勉と資本主義は結びついていたはずだ。 (ルールについて) 日本でも、西欧でも、宗教と一致する「国家」と宗教界と政治界とレイヤーごとに分かれていた時代があった。近代国家が、そうしたものを統一に向かわせ、画一的に法定通貨なるものを作り、「法律」「政令」なる幻想のためのルール作りを作り上げた。法律家は、そのエバンジェリストとして、周知させ、紛争をなくそうとした。 但し、ルールは、硬直化を招来するものである。多数決は、既得権の誘導により、格差を広げるものになりやすい。パンと見世物は、既得権確保の見返りに渡されるものだ。 (法定・暗号通貨の幻想について) 法定通貨は、資本主義における神として君臨し、格差社会において、納得をさせるものであった。しかし、若い人には、チャンスを失わせる状況を招来した。 つまり、右肩上がりの社会においては、ここさえ我慢すれば、次につながる希望がある。しかし、今の社会においては、次はない。法定通貨も、株式も、次につながる約束はない空手形だ。 今、何が起こるかと言えば、暗号通貨に投資すれば、少なくても引きあがる可能性があるという一縷の望みだ。そこにはなんらの裏付けもない。だから、人からはバブル、詐欺と言われることになった。 詐欺、バブルを想起させるのは、平将門は不成功に終わったが、明治維新は成功した。一定の商人は、ゲームを転覆させて、政商としてのし上がるギャンブルに金をかけるものだ。というのは、時の権力者があまりに遠くにいるので、近い権力者に投資をしたくなるのだ。 今回はビットコインに投資することで、円を否定しながら、おくりびととして、喜ぶ人がいる。円の価値を否定する宗教に所属しながら、みずからをおくりびとという興味深い人もいる。そうした人は、ビットコインが落ちればバニックを起こす人であろう。 ビットコインは、国家ではない、単に値段があがることを信じる宗教である。投機家が多くいれば、上がり下がりがあり、共同体づくりに寄与しないだろう。 (共同体づくりについて) 共同体づくりにおいて必要なのは、投機家ではなくて、辛抱強いエバンジェリストの群れだ。そして、権威づくりとルール作り(暗黙の了解を含む)だ。共同体を作るためにホワイトペーパーを作るという安易な人もいそうだ。そうではない。それだけではない。 共同体づくりで、参考になるのは、突如として現れたイスラエル、シンガポール。または、中国のフィンテックなど。イスラエルは、ユダヤ教という宗教的な繋がりのもと、国を作ってきた。シオニズム、キブツ、戦争、そして、スタートアップ、技術革新を自らに課して(つまり、イノベーションを内包して)、現代国家を作り上げてきた。中国は、フィンテックとゴマ信用を使用して、様々な考えのある中国を道徳的にまとめ上げようとするかもしれない。 (日本社会) 日本はどうか。 経済大国3位という幻想によって、国体は維持されている。しかし、その現実は、以下の通りである。 http://president.jp/articles/-/20926?page=3 ローマ時代で子供を産まなくなった云々をどこかで見たことがある。希望がないところで子供を産むのは中々キツイ。 過去は、男性は生きているだけで価値があった。それは力仕事と戦闘要員。生きる価値を与えられた。子供は、力仕事その他雑務など労働力の時代、又は年金がわりの場合、産めよ増やせよと言えた。 今は、機械化により、力など不要だ。女性だけでも十分仕事ができる状況だ。果たして、それで政府が産めよ、増やせよと言える時代と言えるかと言えば、以上のデータで十分ではないか。子供は国力であるが、経済大国3位を永続させる準備は全くない。 つまり、国家という日本における幻想は、すでに壊れたか、壊れつつある状況であり、日本円が維持できると、若い日本人が本当信じているのか疑問である。 ベーシックインカムを国に期待するのは、以上ことで難しいだろう。そして、様々なところで、暗号通貨が使われると、国の徴税力は弱くなる。つまり、弱い国家が出来上がるのは時間の問題だ。それを支えるのが、様々なレイヤーの宗教、団体、趣味になるわけだ。つまり、暗号通貨に、幻想を持たせ、システムとしてイノベーションを内包し、かつ権威付けを行う。ダメな共同体は、廃棄されて新しい共同体が日々作られる。その共同体にベーシックインカムが作られる。とすれば、暗号通貨で大切な視点は、宗教と女性(子供)であり、それを理解して使う男性ではないか。つまり、金(キン)は、人がいなければ意味がなかった。暗号通貨は幻想であるが、もし人が多く使うであろう予測ができれば人は使う。女性と子供は入るであろう。そして、それをまとめ上げる宗教(テクノロジーという宗教かもしれない)。 (日本における法律家の役目) 法律家の役目は、まさに、秦時代の李斯のように、ちゃんと決めるべき事項を決めて、かつ、漢(劉邦)のように余白を作り上げる、ことではないかと思い始めた。それこそが、新しいスマートコントラクトの時代と思いつつある。そして、中国は、そのスマートコントラクト使用圏を最大級にするだろう。

補助金について

(帆をあげる) 補助金について、色々腹立たしいことばかりだ。 政府は、補助金の正しさを立証することはほぼできない。 単なる補助金目当てなのか、それとも、補助金によって善なる道に行くのか。 今後の研究者は、お金をもらうときに戦々恐々としておかねをもらう必要が出ている。学生を使ってミスが出たら、それも責任を負う。バカみたいだ。そんなんだったら、研究なんかやらず、仮想通貨で儲ける方が良い。世の中が少しでも良くなるために一歩でも前に進まなければならないと思っている研究者は多い。 補助金でトラブルが起きるくらいならば、補助金なんか貰いたくないと考える人も多くいるだろう。成功者に多くの資金が集まり、若いやる気のある人にはチャンスがない。成功者はお金を使うために、プロジェクトを増やす。それって、本当に正しいのか。 補助金は非常にありがたいが、補助金ビジネスと揶揄されるくらい、残念なビジネスモデルが出来上がる。 斉藤元章さんは、逮捕される。だから、困る。あいつのせいだ。というのは、もうやめにして、もっと良い制度を見つけ出すのが仕事だ。 今の時代、明らかなニーズビジネスは終わりになり、インサイトビジネスになりつつある。いまの補助金制度は、バラマキであり、その判断者が必要なのは、その提供が正しく責任追及されないかという一点に尽きる。つまり、補助金は、上手く活用されたかではない。手続きは、正しい手続きによって提供されたかに重点が行く。 正しい補助金の使われ方は、自由度を失わせ、研究者本来の創意工夫は失われていく。そうすると、正しい研究しかしなくなる。つまり、反逆者・反骨者の研究はできなくなる。 正しい研究者の研究など、AIに任せるだけだ。むしろ、反逆者・反骨者の研究がAIと相まって、成果を出すことになろう。それは中村修二さんが面白い研究成果を出していることからも裏付けられる。 VCは、成果が要求されるので、難しい。エンジェルは、面白いかもしれない。 ヨズマというイスラエルの仕組みを、エンジェルに適用することはできないだろうか。その人に未来を委ねる仕組み。そのエンジェルは、年齢制限を設けるべきかもしれないし、人口比率によるべきかもしれない。正しくではなく、人を見る目をもつエンジェルにすべてをかける方が、ましな気がする。 とにかく、今は研究者をまもる活動をする方向で、すすめていきたい。

集合知ならぬ集合機器による精度の向上

Gpsは、精度が悪い問題がある。しかし、集合によって、精度が上がる。それを人工知能によって、覚知し、使用に耐えるものにする。それは十分実現可能な領域だと思う。 こうした技術を悪用することも可能だ。 正直言って、こういう技術をすぐ理解し、どのように使うか適用段階まで、落とし込めない弁護士っているのだろうか。 多くはこの程度は知っていると信じたい。 世の中がどうなるのか、未来予測しながら契約が作れないのであれば、その契約の価値は全くない。

セキュリティ王国の意味合い

テクニオンで一番学んだこと、情報が分散している状況が一番のセキュリティで、不便がいちばんのセキュリティ。 我々がわがままだから、セキュリティが必要ということ。 で、不便な世界に戻れないよね。インターネットは、治安の悪いヨハネスブルグのあるエリアが、世界中に広がったこと。 つまり、安全をお金で買わなければならない時代になったこと。 ソフトウェア、ハードウェアだけでなく、そのそれぞれのコンポーネントのセキュリティが大事になった。その意味は、ピッチャーが攻撃者であれば、バッターがセキュリティ側。そして、ストライクゾーンが東京ドームくらいに広がることだ。 ディープラーニング?向こうも、ディープラーニングマシーンとマシーンを掛け合わせて、準備してくるよ。 何が起こるか。今の世の中と同じかそれ以上に、貧富の差が発生し、金があるところはよく守られてセキュリティコストがかからないように手厚く保護されて、それ以外はどんどんセキュリティコストがかかり破綻して行く。 イスラエルがサイバーセキュリティでゲームを仕掛けるのは、ゲームを作るためと言って過言ではないと思う(そんなの聞けません)。 自動車とか鉄鋼とか瑣末な議論になるだろう。なぜ日本にセキュリティを目指す必要があるかといえば、この技術は汎用性が高く、全てを統べることになることが容易に予測し得るからだ。 馬鹿じゃないと笑うかもしれない。それが5年後の社会です。それがIoTの意味だと考えている。

儲ける法務:僕たちがタブーとして扱ったことに直視しよう

弁護士の仕事はすべてが編集だ 最近編集という仕事に夢中になっている。 編集という仕事はどこでもあると認識したのはつい最近。 最初は「バズ」っているという言葉が良く分からず、「炎上」というものがマイナス要素しかないように見えた。しかし、今は言える。個人が力を持つ時代になったのだ。 過去は隠ぺい体質でグループ活動で何でもやれた。今は、その会社グループのやり方が疲弊化してしまった。 そして、我々の仕事、弁護士の仕事も疲弊化している。すべて、夜遅くまでやるという忙しさを宣伝して、カッコ悪く経済の全体最適と異なるやり方を追求していった。すべて、クラウド上で、スムーズに機械化して、アルゴリズムで対処し、対応しきれない面と感情面に集中して仕事をやればいいのに生産性を無視して、何を知っているのかを誇示していた。 テクニックなど、今の時代どうでもいい。実際には、結論はそれほど変わらない。素人の目には、差がなく、人間づきあいが差を分けるのだ。または、ブランドを使用して、ここでダメなら仕方がないと会社内部に思わせる仕組みもある。 要は好かれるか(人づきあいが良いか)、好かれないかが大事になり、そして、認知(ブランド)されているか、されていないかが肝になっている。 セルフブランディングのできる弁護士は強い。テレビに出るには、SNSや出版その他の方法で出ることが可能であろう。しかし、それで我々の仕事は良いのだろうか。 我々は、もう一度、仕事を見返してみる必要がある。 そもそも、法務部も弁護士も、社会のコストセンター的な役割を演じている。それは長い間だと思う。 我々の仕事は、まずは不安を和らげる仕事、それから、社会のコンフリクトをなくす仕事。 今は、社会が恐ろしく変わってしまっている。つまり、既得権と新興勢力の争い。新興勢力は、大きく法律を変える方向に来ている。弁護士の仕事や法務部の仕事を奪う形になろう。 先ほどの好かれるか認知度を上げるかということで仕事を取っていくのは、既得権の仕事だろう。新興勢力は、なめらかに社会をつくり、法律をアーキテクチャー化していく。つまり、法律ではなく、マシン(機械)の力によって、人間の行動様式を変えていく。 人間にとってどちらが幸せかというのはどうでも良い。新しいものを受け入れる必要があることは直視する必要がある。 手続で、やっていたことは人それぞれの意見を、編集して裁判所に伝えること。役所に対してやっていたことも、皆の意見を編集して役所で加工できるように伝えること。マスメディアに取り上げていただき、世間があたかも同質の意見をもっている感をアピールする。 それは、まさに編集であり、大きく見ると弁護士という職業は単なる資格でしかない。 「儲ける法務」というのは弁護士が儲けるべきとか言っているわけではない。会社をプロデュースして、大きく道を外さないようにして、社会に受け入れやすいサービスにしていくことだ。 今の起業家を見ると、抜け道をそのままお話しされる方が多い。しかし、本当に大切なのは、それを必要として使ってくださる人だ。新しい目線で、継続的しようとするする方が大事なのだ。それが社会を変える機運を作る。 我々法務を扱う人間は、現行の法律に囚われて、社会の本当の目線を理解していない。そこにズレがあることを理解している人は、少ない。ひたすら、認知度と営業を繰り返すだけだ。 高齢化社会、日本沈没、いくらでも若い人が希望を持てないニュースを持ってこれる。しかし、世の中を変えようとしている人は、ポジティブだ。 法律を知っている人間は、持っている情報を編集し社会に伝え、行政の人間に対しても加工して伝え法律の執行を遅らせ、国民及び政府機関に伝えることで、社会を変えていく編集者に変わるべきだ。 契約は、社会を構成する枠組みだが、徐々に使われる約款を可視化してそれにまとめ上げる。紛争を避ける仕組みづくり(つまり人間の信用の可視化)をして信用を失わないインセンティブづくりをする。このあたりは自動化できる部分だ。 横との連携を促し、日本の産業の強いところを引き出す(オープンイノベーション)。その接点を作り出し、線につなぐ。 社会を変える編集をする(社会はそれによって利益がでる)、それによって会社が儲かる仕組みを作る、それができる目線を獲得し、儲かる法務というエリアを確立するのが当面の私の仕事として考えている。