爆買いから新たな出発

今までのインバウンドの流れは中国の爆買いから如何に金を出させることであった。 しかし、そんなことに気づかないアホな中国人はいない。彼らは騙されたふりして、あらゆる裏をかくだろう。 そんなつまらないことするなと言いたい。それよりも、中国の方に、サプライズを与えた方が良い。残念ながら、しぼみ行く日本においては、小さいキャッシュフローを有効に回す必要があり、現状維持する慣性から、縮み行くことに狼狽える人が多いだろう。 敵を知り己を知れば百戦危うからずの考え方から学ぶには、中国のことをよりよく知らなければならない。敵ではなく、味方なんだが、腹の探り合いをして、潰しあわないようにしなければならない。つまり日本独自のサービスをするのはやめて、日本らしきサービスをするのが上策である。 伝統とは過去あったことを、そのまま繰り返すことではない。それは先例主義、形式主義であり、思考停止である。フロンティアスピリットこそが伝統であり、外部状況をしり変化する意思の継続こそが伝統の根幹である。 日本人らしきとは、中国人が体験したことのない、斬新な経験でありながらベタな日本経験の中間である。うまいラーメン屋はベタな麺を作りつつ、かつ、前よりも美味しいものをデータを取りながら(表情、アンケートその他及び敵情視察)さらにうまいものを作りこむ。形式主義ではない。 経営者は、外に出て、敵情視察をあらゆるところでやりつつ、できることを模索する。真似をあらゆるところですることで、自分独自の路線を作り上げる。 苦しいのは、新しいところはコスト安の出来のいいシステムを取り入れてよりよくすることができるのに対し、古いところは初めから余剰がない。否、ブランドを食いつぶして潰れるのを待つしかない。 イノベイティブとは辺境からのデザインであり、苦しいところしか、逆境でしか、そして、エンタメでしか、生まれてこない。 機械がイノベイティブを作るのではなく、知恵という無尽蔵の石油がイノベイティブを作るのだ。 例えば、黒川温泉。個別最適では独自のホテルを作れば、勝てる。しかし、今は、オープンにすることと景観を一致させることで、日本らしき姿を作り出している。しかも、便利にすることでuxをより良いものにし、口コミを増やす。 東京は、だめだ。地方はだめだ。これも思考停止。日本人らしさは、島国根性から国際社会マインドに向けて必要なことだ。 僕らは、今一度、日本人らしき、別のものになる必要がある。それを試行錯誤で取り入れる。 僕らという言葉を否定し、マーケットを見直すと、違うものが見える。 本当に我々が欲しいのは、プライバシーの保護でもなく、圧倒的なuxである。 深圳では、あらゆるところにカメラがつけられて、乱暴なことを許容しないようになった。風俗などに行こうものなら、要注意だ。それにより、子供と女性にとって住みやすい環境を作り出した。教育こそが国家を作り出すという米百俵は、さらなる優秀な家族を深圳に呼び寄せる。 汚れは、道端にない。治安も良い。食事も美味しい。サービスも良い。経済も良くなる。なぜ深圳に居住すべきかストーリーとして完璧だ。 僕らは、生きるために働こうとする。間違ってはないが、成長と改善なき作業など、見限られて当然だ。成長余白があるから、人は寄ってくるのであり、その余地のない、作業のみの場所に人は寄ってこない。介護が作業ばかりで、創意工夫と成長の可能性後ない限り、投資も人も来ないのは当然だ。補助金サービスは麻薬であり、危険としか言いようがない。 若い人を惹きつけて、彼らと共に成長する機会を作らない限り、希望などありはしない。 給与は所与のものではなく、投資である。成長可能性に対してポジションを与え、貢献に対してはボーナスで報いよは正しい。 大変だから、給与を与えるというのは間違っており、ボーナスを与えれば良い。大変でなくなる改善をできる人間にポジションを与える必要がある。そのために、古い仕事を捨てる若さと蛮勇が必要だ。 中国の人と一緒に栄えたいのであれば、中国人にポジションを与え、日本人には賞与で報いることで足りる。決して、下っ端として、使いこなそうとしてはならない。 日本に、中国経済圏、インド経済圏を作り、日本にいて良かったと思わせる状況を作り上げるべきだ。競争の激しい、自国よりもはるかに勤務しやすいという環境を作り上げるべきだ。 あの誇り高き中国もできた。我々は世界における全体最適から逆算し、我々のできることを試行錯誤して見つけ出すべきだ。中国人からお金を巻き上げることだけを考えても後で巻き取られて回収されるだけだ。 新しい生き方は、すぐにある。後は危機感とリスクを受容する力があれば、新たな変化を作ることができる。否定をし、世界の全体最適から、何をすべきか考えよう。 日本には宝の山がある。気づかないのは、部分最適だからだ。 Advertisements

深圳の学び

いずれ、香港と台湾を飲み込むか? 過去の学びは、老人から若さへというものであった。インターネットは、集合知により老人のわずかな学びを重宝することはない。老人の学びを切り捨てる流れであろう。 香港は初期投資が著しく、過去の遺産を持っている。それは素晴らしいことであり、中国は道具として、香港を使い分けるだろう。もちろん、管理社会の名においてだ。 台湾は、地政学的に大切なところであり、喉元といっても良い。過去、pcその他の製造拠点として台湾は要衝となっていた。今は、若い人にとって自由度の高い仕事をできる環境だろうか。 アリババは、平均年齢が30代前半(20代?)くらいであり、夢と情熱を社員が持ち続けている。テンセントその他の会社も同様だ。 そして、政府は、それを後押ししている。リープフロッグを、眠れる獅子がするということはまさにムーンショットといって良い。 あらゆる覇権を取るとみて良い。 曹操の時代を見ても、乱世の時代において人材というものに重きを置いている。 中国に勝つ負けるの議論をするのはあまりに身の程知らずと言って良い。僕らがアメリカに立ち向かう北朝鮮に対して思う感情を、将来の子供達は「中国に立ち向かう限り」の我々に対して抱くであろう。 我々は、将来について若い人たちに学ばなければならない。 深圳は資金の潤沢さに、優秀な人材人口増加、全てをエンタメ化とチャレンジ試行錯誤して立ち向かっている。失敗は、織り込む済みだ。失敗の上に学びを持ってきてダルマのように生き返る。 過去の日本は、さまざまな局面で、変わってきた。それを変えたのは若さである。 織田信長、明治維新、そして終戦において、頼りにすべきは、石油という資源ではなく、無限に出る知恵と勇気であった。つまり、知恵と危機感こそが無限の石油であった。 我々は何かを得るために捨てなければならない。 何を捨てるか。安住を捨てること、批判をすることを捨てるしかない。 世の中を良くしたいのであれば、そして、生活を良くしたいのであれば、その二つは捨てるしかない。 多くの人にお叱りを受けつつ、次に何をやるかを考える。人と人の繋がりほど今大切なことはない。 齋藤 和紀さん、川ノ上 和文 (Kazufumi Kawanoue)さん、多分単独でいっても学びはなかったでしょう。単なる比較で終わっていたはずです。井の中の蛙大海を知らず。仲間に恵まれたこと感謝です。 全体最適こそが、最大の生存競争の大切なことです。 古い目をなくし、初心で見るには(批判なき曇りなき目で見るには)、仲間から見る視点が大切です。感謝です。

深圳の活気と日本の空気

儲かるが先か? それとも若者(リスクテイカー)が儲かるからか。 役人は、寛容の精神。 チャレンジをすることができる空間。 法は、なんのためにあるか。信号はなんのためにあるか。 僕は信号の場合こう考える。高速であれば、歩行者がいない前提なので歩行者にぶつかったとしたとしても前方不注意として過失責任になる可能性は通常より少ないだろう。 これに対して、普通の道、つまり歩行者と接点を持つ道路の場合、誰がトラブルの責任をとるかを考える必要が出る。 まばらにイエスノーをしてしまったら、判断者の権威を失う。よって法則化するのがベストだ。 ちなみに、高速は金融みたいなもので、出口以外システム的に外に出ることを予定されてない。高速というアーキテクチャが拘束するように、法律で縛っている。高速で如何に優秀な成績をあげても、事故らなくても、通常の道で事故らない可能性はわからない。 これに対して、通常の道路の場合、歩行者が接点を持ち、車は走る凶器であるがゆえに、歩行者にぶつかったら運転者が責任をとるだろう。 信号は、その接点の持ち方に少しルールを変えてしまう。もちろん、人をひいたら責任をとるだろうが、赤で歩行者が渡るとは到底予測できない場合、少なくても情状酌量などになるだろう。つまり、信号は、事実的に予測がしにくくなったという証明責任の緩和になる。 なんのためか?人の命を守るためだ。混乱を防ぐためだ。政府は揉めないように介入することもある。信号無視しても歩行者が処罰されないのは、歩行者自身が怪我をしないようになったするインセンティブがたかいため、社会に混乱を起こす要素が少ないからだと考えている。 もし、法律に違反する活動だが安全が確保され、社会にも良い影響を及ぼし税収を増やし、かつ、社会の問題を解決するものにつながるとしたらどうだろうか。 例えば、ドローンの制御装置が安定し絶対落ちない。そして、あまりに落ちないため、ある人が法律違反して使い、商売を始めた。 例えば、ドローンに追尾機能を持たせて、徘徊老人がどこに行ったかすぐに伝えてくれる仕組みを作った(はっきり言って、gpsを使えば良いのだが、それは置いておく)。 あまりに性能が良いので、かつ、事故も防止できるので、いろんな人がやり始め、社会に実害が発生しないようになった。 治安が良くなり、ドローン開発でも良いポジションにつくことができ、警察が少なくてもすむ、さまざまなビジネスアクティビティが可能なりそうな場合に、政府が問題視することはほとんどないだろう。実質的な法的改正がされ、形式的な法的改正がなされるのも時間の問題だろう。 自動車が少ない時期は免許制度もなかっただろう。増えたから制御する必要があった。でも自動運転で、安全が確保されたら運転を規制する道交法の存在自体も無くしてしまう。 深圳は、まさにやって見なはれということで、社会が寛容なのだろう。レストランもエンタメ化し、あらゆるものがゲームフィケーション等に工夫がされている。 一般的に生存競争でトップになったものは、社会変化に弱い。特にルールが強化されているものは、弱い。恐竜は、温度が変化する中で環境変化に耐えられないものが増えた。規制産業は、その規制が緩くなり、第三者参入を許すと、ビジネスモデル自体の根幹を覆され、盤石と思えた企業でも、ひっくり返る。 ゲームチェンジで強いのは若者である。ゲームその他のソフトウエアは若者が強かった。だから、ソフトウエアは、優秀な人材をどんどん確保した。 日本においては、知財、製造物責任、その他の法律がメーカーの責任と産業障壁を作った。これに対して、深圳では、メーカーズというソフトウエアと少しハードウエアーをかじった若者がゴロゴロといて、一攫千金を狙っている。趣味で作ったものをうって、うまくいったら、バンバン売ろうと目論む。周りに工場もあるし、なんでもありだ。グレーのゾーンが社会を活性化させ、優秀な人材を引きつける。 ともすれば、大手のメーカーに売りつければ良い。 なぜ日本でも、カオスを作らないか。なぜ法律を緩くしないか。それは皆が思うことだろう。 組織が整い、安全な商品を作ることが当たり前になると、誰かがいい加減なものを作るのが許せないのだ。 地元の人がタクシーよりも地元を知っているにもかかわらず、免許でタクシーを守ってきた。ウーバーがこわそうにも、常識で壊れない。 リープフロッグは、常識がないため簡単だ。 イノベーションの熱気は、常識を覆したい気持ちを持つ人がたくさんいるときに生まれる。 それを持つには、日本では危機感しかない。不安感ではなく、自動車その他の産業が潰れるという、黒船が現れるという危機感だ。 中国共産党は、アヘンその他の戦争から多くを学んでおり、覇者になるまでは、危機感を持つだろう。 危機感が、許容性を生み出し、変化が若者を引きつける。成功者がキャッシュをさらに生み出し、チャンスを見出す。 中国が、人口が多いのが良いわけではない。将来から逆算して、今の状況に疑問を持つことができる人間をいかに増やすか、それだけがこの日本での解になる。 しかし尊王攘夷、開国派ではなく、外で戦う人間が大切だ。正しく敵を認識することが必要だ。

長く書かなかった理由

アフリカの記事で次のように書いた 1.長らく書かなかった。その理由は、多くありすぎて言う必要もないと思っていた。 1)新しい世代が育ち、私が書くべきことが限定されてきたこと。 ベンチャーについては、泉田さんのブログを読めば良い。 新しい起業家も育ってきた。 サムライインキュベートがアフリカまで進出してくれたのか嬉しかった。 2)自分のロールをもっと際立たせる必要があったこと。 同じことをやり続けることはできない。 そこで、私はリーガルテックの起業をし、色々とやってみた。一人でやることの限界を感じた。 一人で、やるにはなにもかもが、重すぎた。 雇えば良いのだが、フランス語と英語をできる弁護士をやとうというのも骨が折れた。 アフリカへの事業化の夢(私がやるべきことはインキュベーションセンターをアフリカ各地に立てること)は潰えたように見えた。 諦めの悪い私は、それでも方法を模索してきた。 2.本日書こうとした理由は、大体解が見つかったからだ。 アフリカはやりつつけるが、アフリカへのリーチのみちが見えてきた。 真似をされてもいいので、書くがE-govをすすめること リーガルテックの中に、E-govがあると認識している。これはエストニアを例として出せば分かる。ここでわからない人は、グーグルでエストニアとe-govを調べれば良い。 そのために、自分の信じる道を貫き通す。それだけだ。

自動運転における考え方

https://gigazine.net/news/20180322-uber-accicent-driver/ 自動運転における考え方 1)人間を超えるか おそらく人間の能力は超えることができる。事故率は、人間よりも低くなると考えてよい。 2)人間と機械のいずれが責任を負うか。 無人列車がいるとして、だれが刑事的な責任を負うかと言えば、整備会社の社員、オペレータ(全員自然人)などが考えられる。そして、民事的には、所有者と管理者(つまり法人のライン)になろう。民事的には最終的に保険で収束すると考えられる。 現行の自動運転の場合、刑事的な責任は、運転手であろう。 避けられたかと言えば、こういう道は危険と認識する直観力を持てるかが問題。混んでいる道よりも突然の歩行者は良くあるパターン。 避けることができたかと言えば、徐行して避けることができたと裁判官なら判断するのではないだろうか。人を殺しておいて、罪に問わない正当化要素はあまりに少ない。 今の制度は、運転者に厳しく対応する状況であることを認識すべき。高速道路など、歩行者が歩くことが予測できない状況ならいざ知らず、自動車運転手はその他の道についてすべて注意を払う義務があると認識すべき。 不可抗力などが認められることは少ない。 自動運転に頼る運転手は、自分が事故を起こす可能性がある認識(危機管理)が薄れることに留意すべきだ。すべての責任は自分にあると認識し、車を運転するしかない。   3)法律を変えるべきか 以上の現象は、田舎の実情に合わない。責任論は自動運転を使用する人間に厳格な状況で、統計論は自動運転の方が好ましいというギャップが生じる。 事故を防止できる可能性が明らかに自動運転による方が高く、かつ、自動運転を推進することが将来的な国家利益につながるにもかかわらず、法律はそうした見方をしない。よって、法律を変えて、自動運転を推進するべきだと考える方も多くいるであろう。それは田舎の高齢化問題を直視すると現実のニーズがある。   政府はどう判断すべきなのだろうか。 1)わずかな事故に右往左往されず、保険によって手厚くフォローすることで、自動運転を支持する方向にしてデータを取っていく。 2)許せないという国民感情を尊重し、産業を取りに行くのをあきらめる。   自動運転の流れは不可避であり、1)にならざるを得ず、国民の利益を如何に得ていくか戦略的なプロモーションが必要になるであろう。

新しい経済とKPIの変遷

貨幣経済に変わる物(まだ、検討中) 1)普遍的に信用の源泉となりやすいもの ・やる気(集中力) ・時間 ・エネルギー ・優秀な人 これらは、有限なので、ジンバブエであろうと、宇宙であろうと生き延びることができる。これらは、信用価値の源泉と考え、利用すべきものになろう。これらが利用できない人間は絶対成功しない。 2)以上の信用の価値をインベストするにも、KPI化しなければ、正しく力を発揮できない。優秀な人間がいても、正しくKPIに沿って、動かなければ、信用蓄積にならない。 残念ながらそのKPIは、過去と大きく違い、大きなうねりを見せている。携帯、仮想通貨、その他のゲームチェンジャーが、信用の流れを大きく変えている。大きい分野で言えば、中国のゴマ信用である。そして、個別的なもので言えば、facebookのいいね、air bnbやuberなどの信用の蓄積である。 実際には、既成の技術の組み合わせを別の分野で使うことで、イノベーション普及はされるので、最新技術を知ることよりも、最新技術から流れを読み取りつつ、既成の技術の組み合わせから、売り方利用のされ方(マーケットアウト)を考えた方がはるかに効率が良い。 KPIは、その売り方まで考えて設計する必要があり、 投資する際に、1情報の非対称性を考えた希少情報、2偶発性(部分最適から全体最適に移り変わりやすいタイミング)を考慮する必要がある。 新聞を読んでいてそのことが公知の情報であっても、そのエリアにいなければ気づかない利用できる情報も希少情報と呼んでもよい。業界の反発を食らえばアウトになることも考慮し、いつ頃に全体最適まで持ってい行けるかを針の穴を通すようなKPI設計(ここはマネジメントレベルかもしれない)が必要になるかもしれない。その際に、大事なのは、アイデアではなく、イシューを探せの領域と、徹底的な実行。 3)人が消費したいと考えるエリアは、安全、健康、行きやすい、孤独でない。そして、絶対に避けるエリアは損しそうなエリアである。根源的に損をしたくない性質を人間は持っている(ギャンブルと依存事業は別)。プロダクトを作る際には、以上の価値を考慮しつつ、損をさせないということを注目すべきであり、売り方印象の与え方がほとんど99パーセントを決めると言っても過言ではない。

暗号通貨とスマートコントラクト、そして法律家

(暗号通貨の行方について) 様々な人が、小さなコミュニティをパラレルに生きていくとの主張をしていた。見たことがないため、理解ができない社会だ。 それが、少しずつだが分かってきた。お金2.0には記載されていない事項 https://www.houdoukyoku.jp/posts/24051   (歴史) 歴史をたどると、ものを奪い合う社会。力では安定しないので、一定の神を使って、人々をまとめ上げる社会。残ったものを一緒に食して、次の豊作を祈る。不作の際は、誰から奪う時代。神と神との争いをする時代。神の統一的な紛争という形で、私利私欲がジハート(聖戦)になる。争いだけをしている限りでは、金銭は発生しないだろう。しかし、貸し借りをちゃんとするという意味で、金銭が生まれたのだろう。その土地その土地の金銭が生まれ、物々交換をしつつ、お金の流通もしていった。金銭は弱い部落にとっては、支配を金銭的な拘束にとどめるのに役立ち、かつ、広範な地域を有する統治者にとっては広範な地域を持つだけのインセンティブになったのだろう。秦が統一的な物差しと金銭を持ち出したことで、漢及びその後の社会の円滑な商業への貢献は計り知れない。 なお、気をつけなければならないのは、金(キン)は存在しても、人が介在しなければ単なる物質にすぎないことだ。人が、キンを評価したに過ぎない。そうした評価を与えるのに必要なのは幻想という、まとまりが必要になる。 (礼、秩序) 礼は、宗教でもあったのではないか。まず、先祖に対する礼(神)はその部族のまとまりを大きくしてきた。そして、一神教は、その信じる者の力をまとめる効果があった。 勿論、ヨーロッパでキリスト教があったのに、複数の国があり、矛盾していると主張されるだろう。しかし、ローマ時代においては一つにまとめ上げる効果はあり、かつ、その後は各々の国においてまとめ上げる効果として宗教が使われた。イギリスの国教はまさにそうしたものである。プロイセンが独自の発展を遂げたのはプロテスタントの力(聖書を深く理解した知的階級が育った)もあろう。中国では、儒教が大きな役割を果たし、のちに老子の思想と結びついて、国家は流転した。それによって貴族の社会から巨大な官僚国家(科挙をベースにする)に変化していったように思われる。 (国家の意味) その当時国が現代の意味であったかと言えば、領主がいて、それを前提としたのだろう。陳は国家であるとしたルイ14世はその意味で想起される。それ以前は、国という訳ではなくて、其々の人が領地をもっていてその結合体として、国王がいたのかもしれない。 国を一番意識させたのはナポレオンではないかと思われる。その時に総力戦という形で、国民が国のために戦うという宗教ができた。 (貨幣経済) 日本では、信長以前と以後が興味深い。信長以前は土地(物々交換)というものが価値を有していたのにたいして、それ以後は金銭による交換が重要になってきた。なお、そうはいっても徳川時代にいって、外国との貿易のことを考えると、資本主義と言えるかと言えると、そうでもないのかもしれない。 ヨーロッパは、あまりよく分からないが、キリスト教という流れからすると、金は汚いものという目で見てきたのかもしれない。但し、メディチ家がでたり、イタリアでは貨幣経済は一定程度機能したように思われる。胡椒を取るには、アラビアとの貿易が不可欠だからだ。また、ドイツでは、プロテスタントという形で、勤勉と資本主義は結びついていたはずだ。 (ルールについて) 日本でも、西欧でも、宗教と一致する「国家」と宗教界と政治界とレイヤーごとに分かれていた時代があった。近代国家が、そうしたものを統一に向かわせ、画一的に法定通貨なるものを作り、「法律」「政令」なる幻想のためのルール作りを作り上げた。法律家は、そのエバンジェリストとして、周知させ、紛争をなくそうとした。 但し、ルールは、硬直化を招来するものである。多数決は、既得権の誘導により、格差を広げるものになりやすい。パンと見世物は、既得権確保の見返りに渡されるものだ。 (法定・暗号通貨の幻想について) 法定通貨は、資本主義における神として君臨し、格差社会において、納得をさせるものであった。しかし、若い人には、チャンスを失わせる状況を招来した。 つまり、右肩上がりの社会においては、ここさえ我慢すれば、次につながる希望がある。しかし、今の社会においては、次はない。法定通貨も、株式も、次につながる約束はない空手形だ。 今、何が起こるかと言えば、暗号通貨に投資すれば、少なくても引きあがる可能性があるという一縷の望みだ。そこにはなんらの裏付けもない。だから、人からはバブル、詐欺と言われることになった。 詐欺、バブルを想起させるのは、平将門は不成功に終わったが、明治維新は成功した。一定の商人は、ゲームを転覆させて、政商としてのし上がるギャンブルに金をかけるものだ。というのは、時の権力者があまりに遠くにいるので、近い権力者に投資をしたくなるのだ。 今回はビットコインに投資することで、円を否定しながら、おくりびととして、喜ぶ人がいる。円の価値を否定する宗教に所属しながら、みずからをおくりびとという興味深い人もいる。そうした人は、ビットコインが落ちればバニックを起こす人であろう。 ビットコインは、国家ではない、単に値段があがることを信じる宗教である。投機家が多くいれば、上がり下がりがあり、共同体づくりに寄与しないだろう。 (共同体づくりについて) 共同体づくりにおいて必要なのは、投機家ではなくて、辛抱強いエバンジェリストの群れだ。そして、権威づくりとルール作り(暗黙の了解を含む)だ。共同体を作るためにホワイトペーパーを作るという安易な人もいそうだ。そうではない。それだけではない。 共同体づくりで、参考になるのは、突如として現れたイスラエル、シンガポール。または、中国のフィンテックなど。イスラエルは、ユダヤ教という宗教的な繋がりのもと、国を作ってきた。シオニズム、キブツ、戦争、そして、スタートアップ、技術革新を自らに課して(つまり、イノベーションを内包して)、現代国家を作り上げてきた。中国は、フィンテックとゴマ信用を使用して、様々な考えのある中国を道徳的にまとめ上げようとするかもしれない。 (日本社会) 日本はどうか。 経済大国3位という幻想によって、国体は維持されている。しかし、その現実は、以下の通りである。 http://president.jp/articles/-/20926?page=3 ローマ時代で子供を産まなくなった云々をどこかで見たことがある。希望がないところで子供を産むのは中々キツイ。 過去は、男性は生きているだけで価値があった。それは力仕事と戦闘要員。生きる価値を与えられた。子供は、力仕事その他雑務など労働力の時代、又は年金がわりの場合、産めよ増やせよと言えた。 今は、機械化により、力など不要だ。女性だけでも十分仕事ができる状況だ。果たして、それで政府が産めよ、増やせよと言える時代と言えるかと言えば、以上のデータで十分ではないか。子供は国力であるが、経済大国3位を永続させる準備は全くない。 つまり、国家という日本における幻想は、すでに壊れたか、壊れつつある状況であり、日本円が維持できると、若い日本人が本当信じているのか疑問である。 ベーシックインカムを国に期待するのは、以上ことで難しいだろう。そして、様々なところで、暗号通貨が使われると、国の徴税力は弱くなる。つまり、弱い国家が出来上がるのは時間の問題だ。それを支えるのが、様々なレイヤーの宗教、団体、趣味になるわけだ。つまり、暗号通貨に、幻想を持たせ、システムとしてイノベーションを内包し、かつ権威付けを行う。ダメな共同体は、廃棄されて新しい共同体が日々作られる。その共同体にベーシックインカムが作られる。とすれば、暗号通貨で大切な視点は、宗教と女性(子供)であり、それを理解して使う男性ではないか。つまり、金(キン)は、人がいなければ意味がなかった。暗号通貨は幻想であるが、もし人が多く使うであろう予測ができれば人は使う。女性と子供は入るであろう。そして、それをまとめ上げる宗教(テクノロジーという宗教かもしれない)。 (日本における法律家の役目) 法律家の役目は、まさに、秦時代の李斯のように、ちゃんと決めるべき事項を決めて、かつ、漢(劉邦)のように余白を作り上げる、ことではないかと思い始めた。それこそが、新しいスマートコントラクトの時代と思いつつある。そして、中国は、そのスマートコントラクト使用圏を最大級にするだろう。

補助金について

(帆をあげる) 補助金について、色々腹立たしいことばかりだ。 政府は、補助金の正しさを立証することはほぼできない。 単なる補助金目当てなのか、それとも、補助金によって善なる道に行くのか。 今後の研究者は、お金をもらうときに戦々恐々としておかねをもらう必要が出ている。学生を使ってミスが出たら、それも責任を負う。バカみたいだ。そんなんだったら、研究なんかやらず、仮想通貨で儲ける方が良い。世の中が少しでも良くなるために一歩でも前に進まなければならないと思っている研究者は多い。 補助金でトラブルが起きるくらいならば、補助金なんか貰いたくないと考える人も多くいるだろう。成功者に多くの資金が集まり、若いやる気のある人にはチャンスがない。成功者はお金を使うために、プロジェクトを増やす。それって、本当に正しいのか。 補助金は非常にありがたいが、補助金ビジネスと揶揄されるくらい、残念なビジネスモデルが出来上がる。 斉藤元章さんは、逮捕される。だから、困る。あいつのせいだ。というのは、もうやめにして、もっと良い制度を見つけ出すのが仕事だ。 今の時代、明らかなニーズビジネスは終わりになり、インサイトビジネスになりつつある。いまの補助金制度は、バラマキであり、その判断者が必要なのは、その提供が正しく責任追及されないかという一点に尽きる。つまり、補助金は、上手く活用されたかではない。手続きは、正しい手続きによって提供されたかに重点が行く。 正しい補助金の使われ方は、自由度を失わせ、研究者本来の創意工夫は失われていく。そうすると、正しい研究しかしなくなる。つまり、反逆者・反骨者の研究はできなくなる。 正しい研究者の研究など、AIに任せるだけだ。むしろ、反逆者・反骨者の研究がAIと相まって、成果を出すことになろう。それは中村修二さんが面白い研究成果を出していることからも裏付けられる。 VCは、成果が要求されるので、難しい。エンジェルは、面白いかもしれない。 ヨズマというイスラエルの仕組みを、エンジェルに適用することはできないだろうか。その人に未来を委ねる仕組み。そのエンジェルは、年齢制限を設けるべきかもしれないし、人口比率によるべきかもしれない。正しくではなく、人を見る目をもつエンジェルにすべてをかける方が、ましな気がする。 とにかく、今は研究者をまもる活動をする方向で、すすめていきたい。