暗号通貨とスマートコントラクト、そして法律家

(暗号通貨の行方について) 様々な人が、小さなコミュニティをパラレルに生きていくとの主張をしていた。見たことがないため、理解ができない社会だ。 それが、少しずつだが分かってきた。お金2.0には記載されていない事項 https://www.houdoukyoku.jp/posts/24051   (歴史) 歴史をたどると、ものを奪い合う社会。力では安定しないので、一定の神を使って、人々をまとめ上げる社会。残ったものを一緒に食して、次の豊作を祈る。不作の際は、誰から奪う時代。神と神との争いをする時代。神の統一的な紛争という形で、私利私欲がジハート(聖戦)になる。争いだけをしている限りでは、金銭は発生しないだろう。しかし、貸し借りをちゃんとするという意味で、金銭が生まれたのだろう。その土地その土地の金銭が生まれ、物々交換をしつつ、お金の流通もしていった。金銭は弱い部落にとっては、支配を金銭的な拘束にとどめるのに役立ち、かつ、広範な地域を有する統治者にとっては広範な地域を持つだけのインセンティブになったのだろう。秦が統一的な物差しと金銭を持ち出したことで、漢及びその後の社会の円滑な商業への貢献は計り知れない。 なお、気をつけなければならないのは、金(キン)は存在しても、人が介在しなければ単なる物質にすぎないことだ。人が、キンを評価したに過ぎない。そうした評価を与えるのに必要なのは幻想という、まとまりが必要になる。 (礼、秩序) 礼は、宗教でもあったのではないか。まず、先祖に対する礼(神)はその部族のまとまりを大きくしてきた。そして、一神教は、その信じる者の力をまとめる効果があった。 勿論、ヨーロッパでキリスト教があったのに、複数の国があり、矛盾していると主張されるだろう。しかし、ローマ時代においては一つにまとめ上げる効果はあり、かつ、その後は各々の国においてまとめ上げる効果として宗教が使われた。イギリスの国教はまさにそうしたものである。プロイセンが独自の発展を遂げたのはプロテスタントの力(聖書を深く理解した知的階級が育った)もあろう。中国では、儒教が大きな役割を果たし、のちに老子の思想と結びついて、国家は流転した。それによって貴族の社会から巨大な官僚国家(科挙をベースにする)に変化していったように思われる。 (国家の意味) その当時国が現代の意味であったかと言えば、領主がいて、それを前提としたのだろう。陳は国家であるとしたルイ14世はその意味で想起される。それ以前は、国という訳ではなくて、其々の人が領地をもっていてその結合体として、国王がいたのかもしれない。 国を一番意識させたのはナポレオンではないかと思われる。その時に総力戦という形で、国民が国のために戦うという宗教ができた。 (貨幣経済) 日本では、信長以前と以後が興味深い。信長以前は土地(物々交換)というものが価値を有していたのにたいして、それ以後は金銭による交換が重要になってきた。なお、そうはいっても徳川時代にいって、外国との貿易のことを考えると、資本主義と言えるかと言えると、そうでもないのかもしれない。 ヨーロッパは、あまりよく分からないが、キリスト教という流れからすると、金は汚いものという目で見てきたのかもしれない。但し、メディチ家がでたり、イタリアでは貨幣経済は一定程度機能したように思われる。胡椒を取るには、アラビアとの貿易が不可欠だからだ。また、ドイツでは、プロテスタントという形で、勤勉と資本主義は結びついていたはずだ。 (ルールについて) 日本でも、西欧でも、宗教と一致する「国家」と宗教界と政治界とレイヤーごとに分かれていた時代があった。近代国家が、そうしたものを統一に向かわせ、画一的に法定通貨なるものを作り、「法律」「政令」なる幻想のためのルール作りを作り上げた。法律家は、そのエバンジェリストとして、周知させ、紛争をなくそうとした。 但し、ルールは、硬直化を招来するものである。多数決は、既得権の誘導により、格差を広げるものになりやすい。パンと見世物は、既得権確保の見返りに渡されるものだ。 (法定・暗号通貨の幻想について) 法定通貨は、資本主義における神として君臨し、格差社会において、納得をさせるものであった。しかし、若い人には、チャンスを失わせる状況を招来した。 つまり、右肩上がりの社会においては、ここさえ我慢すれば、次につながる希望がある。しかし、今の社会においては、次はない。法定通貨も、株式も、次につながる約束はない空手形だ。 今、何が起こるかと言えば、暗号通貨に投資すれば、少なくても引きあがる可能性があるという一縷の望みだ。そこにはなんらの裏付けもない。だから、人からはバブル、詐欺と言われることになった。 詐欺、バブルを想起させるのは、平将門は不成功に終わったが、明治維新は成功した。一定の商人は、ゲームを転覆させて、政商としてのし上がるギャンブルに金をかけるものだ。というのは、時の権力者があまりに遠くにいるので、近い権力者に投資をしたくなるのだ。 今回はビットコインに投資することで、円を否定しながら、おくりびととして、喜ぶ人がいる。円の価値を否定する宗教に所属しながら、みずからをおくりびとという興味深い人もいる。そうした人は、ビットコインが落ちればバニックを起こす人であろう。 ビットコインは、国家ではない、単に値段があがることを信じる宗教である。投機家が多くいれば、上がり下がりがあり、共同体づくりに寄与しないだろう。 (共同体づくりについて) 共同体づくりにおいて必要なのは、投機家ではなくて、辛抱強いエバンジェリストの群れだ。そして、権威づくりとルール作り(暗黙の了解を含む)だ。共同体を作るためにホワイトペーパーを作るという安易な人もいそうだ。そうではない。それだけではない。 共同体づくりで、参考になるのは、突如として現れたイスラエル、シンガポール。または、中国のフィンテックなど。イスラエルは、ユダヤ教という宗教的な繋がりのもと、国を作ってきた。シオニズム、キブツ、戦争、そして、スタートアップ、技術革新を自らに課して(つまり、イノベーションを内包して)、現代国家を作り上げてきた。中国は、フィンテックとゴマ信用を使用して、様々な考えのある中国を道徳的にまとめ上げようとするかもしれない。 (日本社会) 日本はどうか。 経済大国3位という幻想によって、国体は維持されている。しかし、その現実は、以下の通りである。 http://president.jp/articles/-/20926?page=3 ローマ時代で子供を産まなくなった云々をどこかで見たことがある。希望がないところで子供を産むのは中々キツイ。 過去は、男性は生きているだけで価値があった。それは力仕事と戦闘要員。生きる価値を与えられた。子供は、力仕事その他雑務など労働力の時代、又は年金がわりの場合、産めよ増やせよと言えた。 今は、機械化により、力など不要だ。女性だけでも十分仕事ができる状況だ。果たして、それで政府が産めよ、増やせよと言える時代と言えるかと言えば、以上のデータで十分ではないか。子供は国力であるが、経済大国3位を永続させる準備は全くない。 つまり、国家という日本における幻想は、すでに壊れたか、壊れつつある状況であり、日本円が維持できると、若い日本人が本当信じているのか疑問である。 ベーシックインカムを国に期待するのは、以上ことで難しいだろう。そして、様々なところで、暗号通貨が使われると、国の徴税力は弱くなる。つまり、弱い国家が出来上がるのは時間の問題だ。それを支えるのが、様々なレイヤーの宗教、団体、趣味になるわけだ。つまり、暗号通貨に、幻想を持たせ、システムとしてイノベーションを内包し、かつ権威付けを行う。ダメな共同体は、廃棄されて新しい共同体が日々作られる。その共同体にベーシックインカムが作られる。とすれば、暗号通貨で大切な視点は、宗教と女性(子供)であり、それを理解して使う男性ではないか。つまり、金(キン)は、人がいなければ意味がなかった。暗号通貨は幻想であるが、もし人が多く使うであろう予測ができれば人は使う。女性と子供は入るであろう。そして、それをまとめ上げる宗教(テクノロジーという宗教かもしれない)。 (日本における法律家の役目) 法律家の役目は、まさに、秦時代の李斯のように、ちゃんと決めるべき事項を決めて、かつ、漢(劉邦)のように余白を作り上げる、ことではないかと思い始めた。それこそが、新しいスマートコントラクトの時代と思いつつある。そして、中国は、そのスマートコントラクト使用圏を最大級にするだろう。 Advertisements

補助金について

(帆をあげる) 補助金について、色々腹立たしいことばかりだ。 政府は、補助金の正しさを立証することはほぼできない。 単なる補助金目当てなのか、それとも、補助金によって善なる道に行くのか。 今後の研究者は、お金をもらうときに戦々恐々としておかねをもらう必要が出ている。学生を使ってミスが出たら、それも責任を負う。バカみたいだ。そんなんだったら、研究なんかやらず、仮想通貨で儲ける方が良い。世の中が少しでも良くなるために一歩でも前に進まなければならないと思っている研究者は多い。 補助金でトラブルが起きるくらいならば、補助金なんか貰いたくないと考える人も多くいるだろう。成功者に多くの資金が集まり、若いやる気のある人にはチャンスがない。成功者はお金を使うために、プロジェクトを増やす。それって、本当に正しいのか。 補助金は非常にありがたいが、補助金ビジネスと揶揄されるくらい、残念なビジネスモデルが出来上がる。 斉藤元章さんは、逮捕される。だから、困る。あいつのせいだ。というのは、もうやめにして、もっと良い制度を見つけ出すのが仕事だ。 今の時代、明らかなニーズビジネスは終わりになり、インサイトビジネスになりつつある。いまの補助金制度は、バラマキであり、その判断者が必要なのは、その提供が正しく責任追及されないかという一点に尽きる。つまり、補助金は、上手く活用されたかではない。手続きは、正しい手続きによって提供されたかに重点が行く。 正しい補助金の使われ方は、自由度を失わせ、研究者本来の創意工夫は失われていく。そうすると、正しい研究しかしなくなる。つまり、反逆者・反骨者の研究はできなくなる。 正しい研究者の研究など、AIに任せるだけだ。むしろ、反逆者・反骨者の研究がAIと相まって、成果を出すことになろう。それは中村修二さんが面白い研究成果を出していることからも裏付けられる。 VCは、成果が要求されるので、難しい。エンジェルは、面白いかもしれない。 ヨズマというイスラエルの仕組みを、エンジェルに適用することはできないだろうか。その人に未来を委ねる仕組み。そのエンジェルは、年齢制限を設けるべきかもしれないし、人口比率によるべきかもしれない。正しくではなく、人を見る目をもつエンジェルにすべてをかける方が、ましな気がする。 とにかく、今は研究者をまもる活動をする方向で、すすめていきたい。

集合知ならぬ集合機器による精度の向上

Gpsは、精度が悪い問題がある。しかし、集合によって、精度が上がる。それを人工知能によって、覚知し、使用に耐えるものにする。それは十分実現可能な領域だと思う。 こうした技術を悪用することも可能だ。 正直言って、こういう技術をすぐ理解し、どのように使うか適用段階まで、落とし込めない弁護士っているのだろうか。 多くはこの程度は知っていると信じたい。 世の中がどうなるのか、未来予測しながら契約が作れないのであれば、その契約の価値は全くない。

セキュリティ王国の意味合い

テクニオンで一番学んだこと、情報が分散している状況が一番のセキュリティで、不便がいちばんのセキュリティ。 我々がわがままだから、セキュリティが必要ということ。 で、不便な世界に戻れないよね。インターネットは、治安の悪いヨハネスブルグのあるエリアが、世界中に広がったこと。 つまり、安全をお金で買わなければならない時代になったこと。 ソフトウェア、ハードウェアだけでなく、そのそれぞれのコンポーネントのセキュリティが大事になった。その意味は、ピッチャーが攻撃者であれば、バッターがセキュリティ側。そして、ストライクゾーンが東京ドームくらいに広がることだ。 ディープラーニング?向こうも、ディープラーニングマシーンとマシーンを掛け合わせて、準備してくるよ。 何が起こるか。今の世の中と同じかそれ以上に、貧富の差が発生し、金があるところはよく守られてセキュリティコストがかからないように手厚く保護されて、それ以外はどんどんセキュリティコストがかかり破綻して行く。 イスラエルがサイバーセキュリティでゲームを仕掛けるのは、ゲームを作るためと言って過言ではないと思う(そんなの聞けません)。 自動車とか鉄鋼とか瑣末な議論になるだろう。なぜ日本にセキュリティを目指す必要があるかといえば、この技術は汎用性が高く、全てを統べることになることが容易に予測し得るからだ。 馬鹿じゃないと笑うかもしれない。それが5年後の社会です。それがIoTの意味だと考えている。

儲ける法務:僕たちがタブーとして扱ったことに直視しよう

弁護士の仕事はすべてが編集だ 最近編集という仕事に夢中になっている。 編集という仕事はどこでもあると認識したのはつい最近。 最初は「バズ」っているという言葉が良く分からず、「炎上」というものがマイナス要素しかないように見えた。しかし、今は言える。個人が力を持つ時代になったのだ。 過去は隠ぺい体質でグループ活動で何でもやれた。今は、その会社グループのやり方が疲弊化してしまった。 そして、我々の仕事、弁護士の仕事も疲弊化している。すべて、夜遅くまでやるという忙しさを宣伝して、カッコ悪く経済の全体最適と異なるやり方を追求していった。すべて、クラウド上で、スムーズに機械化して、アルゴリズムで対処し、対応しきれない面と感情面に集中して仕事をやればいいのに生産性を無視して、何を知っているのかを誇示していた。 テクニックなど、今の時代どうでもいい。実際には、結論はそれほど変わらない。素人の目には、差がなく、人間づきあいが差を分けるのだ。または、ブランドを使用して、ここでダメなら仕方がないと会社内部に思わせる仕組みもある。 要は好かれるか(人づきあいが良いか)、好かれないかが大事になり、そして、認知(ブランド)されているか、されていないかが肝になっている。 セルフブランディングのできる弁護士は強い。テレビに出るには、SNSや出版その他の方法で出ることが可能であろう。しかし、それで我々の仕事は良いのだろうか。 我々は、もう一度、仕事を見返してみる必要がある。 そもそも、法務部も弁護士も、社会のコストセンター的な役割を演じている。それは長い間だと思う。 我々の仕事は、まずは不安を和らげる仕事、それから、社会のコンフリクトをなくす仕事。 今は、社会が恐ろしく変わってしまっている。つまり、既得権と新興勢力の争い。新興勢力は、大きく法律を変える方向に来ている。弁護士の仕事や法務部の仕事を奪う形になろう。 先ほどの好かれるか認知度を上げるかということで仕事を取っていくのは、既得権の仕事だろう。新興勢力は、なめらかに社会をつくり、法律をアーキテクチャー化していく。つまり、法律ではなく、マシン(機械)の力によって、人間の行動様式を変えていく。 人間にとってどちらが幸せかというのはどうでも良い。新しいものを受け入れる必要があることは直視する必要がある。 手続で、やっていたことは人それぞれの意見を、編集して裁判所に伝えること。役所に対してやっていたことも、皆の意見を編集して役所で加工できるように伝えること。マスメディアに取り上げていただき、世間があたかも同質の意見をもっている感をアピールする。 それは、まさに編集であり、大きく見ると弁護士という職業は単なる資格でしかない。 「儲ける法務」というのは弁護士が儲けるべきとか言っているわけではない。会社をプロデュースして、大きく道を外さないようにして、社会に受け入れやすいサービスにしていくことだ。 今の起業家を見ると、抜け道をそのままお話しされる方が多い。しかし、本当に大切なのは、それを必要として使ってくださる人だ。新しい目線で、継続的しようとするする方が大事なのだ。それが社会を変える機運を作る。 我々法務を扱う人間は、現行の法律に囚われて、社会の本当の目線を理解していない。そこにズレがあることを理解している人は、少ない。ひたすら、認知度と営業を繰り返すだけだ。 高齢化社会、日本沈没、いくらでも若い人が希望を持てないニュースを持ってこれる。しかし、世の中を変えようとしている人は、ポジティブだ。 法律を知っている人間は、持っている情報を編集し社会に伝え、行政の人間に対しても加工して伝え法律の執行を遅らせ、国民及び政府機関に伝えることで、社会を変えていく編集者に変わるべきだ。 契約は、社会を構成する枠組みだが、徐々に使われる約款を可視化してそれにまとめ上げる。紛争を避ける仕組みづくり(つまり人間の信用の可視化)をして信用を失わないインセンティブづくりをする。このあたりは自動化できる部分だ。 横との連携を促し、日本の産業の強いところを引き出す(オープンイノベーション)。その接点を作り出し、線につなぐ。 社会を変える編集をする(社会はそれによって利益がでる)、それによって会社が儲かる仕組みを作る、それができる目線を獲得し、儲かる法務というエリアを確立するのが当面の私の仕事として考えている。

法律と契約とアーキテクチャー

法律があれば、法律違反をする人がいる。契約を締結すれば、契約を破る事由がある。 法律があるときに、違反する自由がある訳ではなく、自由意思により違反をするだけだ。これに対して、契約違反は自由だ。 ただ、自由人や野生人にとっては、そうした法律など関係ないということで無視することはあろう。つまり、法治国家社会で生きる意志がなければ、それも自由と定義づけることができそうだ。 1)法律は、公正なものか。 今の法律は、既得権を守るためにあるという考え方もあろう。確かに、老人の票田は多く、今の政権は子供寄りの判断はしにくいのではないかと思える。頭のいい官僚はそれを見越して、ボツになりかねない法律案など作らない。票田と将来を見越した法律案を作り上げる。 エリートとは、基礎体力があり、一定のルールで強い人のことを言う。これに対して、起業家は、ルールを変えて勝負をするファーストペンギンだと思う。 もし、信号が赤の場合横断歩道をわたってはいけないルールがあるときに、青になるまでまって歩き、目的地まですぐに到達できるのが、エリートだ。 これに対して、起業家は、横断歩道を渡らないことでルールを回避する。ルールを回避して、結果が出るのが分かった時に、エリートが追いついてくる。 横断歩道を歩かなければルール違反と主張する傍観者もいる。これに対して、うまくやるなと称賛するものもいる。 ジャッジは、官僚や裁判所が行う。騒ぎ具合でルール違反にするかを決める。 過去は、ルール違反ということで取締りをすることを考えただろう。また、周囲の批判を受けすぎた場合、ルール違反にしないと社会が収まらない場合もルール違反にする。 要するに、そうでない場合は違反とされないのだ。 公正は、人の目を欺く。もっと、はっきりした目で見るべきだ。 2)法律も契約も、グレーゾーンがあり、すり抜ける事由がある。それをずるいと言ってもそれは仕方がない。新しいビジネスは、皆が見てない部分から出てくる。弁護士になって良いなと思うところは、そういう皆が見えていない部分を見ることができるようになることだ。 過去は法の抜け穴といった。しかし、今は良いビジネスを育てる方法があるというべきだろう。法律をはめることで、実際には裏社会がはびこる場合もある。どのレベルではめ込むか常に考えておかないと、シャドーバンクが出来たりして大変なことが起きる。その為の手立てを打つべきで、余りにおせっかいな法律だと、外国からきた会社にすべての市場を取られてしまう。 3)アーキテクチャーは異なる。人に抜け穴を見つけさせない場合もある。よって、契約を破られないためには、アーキテクチャーをきっちり作ることで対応することができる。後は、魅力的なアーキテクチャーにすべきだ。魅力的でないアーキテクチャーは無視される。こうしたことを気にしていれば新しいビジネスが生まれるのではないだろうか。  

今後の民主化の流れ

国会答弁は、チャットで、良いという意見はダメなのだろうか。国民は、そのチャットを見て判断したいのではないか。 ヤジは多分減る。無駄な議論もなくなる。選挙の際に、何を言ったのか、全部記録されて、選挙される。 数百人の会議は無駄。委員会、審議会などで話されることの繰り返しというのは理解できる。 形式的にも、会議体は大事かもしれない。しかし、同じところにいて話さなければならないことなのだろうか。何かおかしいと思わないか。 その費用負担を国民全体が負担すべきことなのだろうか。もし、チャットでもよくなると助かるのは、官僚なのだろう。官僚が疲弊しなくなるということは、そのモノマネをしている方にとっては良いこと。 本当にこれをすべきという意見では無くて、単に今までこうしてきたから、ずっと継続すべきだという意見ではダメなので、書いてみた。 あれ、これを実践すると、社会変わるな案。オーブンガバメントというのはこういうことではないか。 多分、ニュースピックみたいなところが、議員の一つ一つのコメントに、民間の言葉を列記されるのだろう。 この仕組みは、ひょっとしたら、判決も同じで、ニュースピックみたいに、民間のコメントが列記されるスタイルが面白いかもしれない。 社会を変えるには、ブログスタイルよりも、このスタイルかもしれない。

技術というもの ポエム

僕たちは、技術というものを間違えている。自分を中心に考えすぎなのだ。しかし。グーグルホームは、幼い子供にわからないことを教えるかもしれない。目が見えない人に、タグをつけて、探し物の手伝いをするかもしれない。 グーグルグラスは、目に見えない人に、色を与える時代が来るかもしれない。耳が見えない人にグーグルスピーカーは音を与えるかもしれない。知的障害を持っている人に人工知能は新たな技術を加えるかもしれない。正常と異常という区分はなくなり、個性になる。 つまり、人工知能に仕事を奪われるのではなく、五歳の子供や障害を持っている人が、正常と思った人の能力を超える現象が起きる。 そこに正常と思った人の怨嗟の声がでる、逆転現象が発生する。 思いやりがない人は、技術を自分の実力と勘違いをして、周りを見下す。「へいグーグル、皆を殺して」という人も出て来るかもしれない。 僕たちは、今まで社会に寄り添っていたのに、常に孤独で、自分の力で生きていたと勘違いをする。 しかし、それこそが間違いで、武器は人間を強くして、猛獣から身を守ってきた。つまり、ローテクという社会が生み出したものが、周りにあって、我々が守られてきた現実に直視すべきなのだ。 先人の技術が我々を守ってきたのであり、我々は社会によって守られているのだ。 何が言いたいのかというと、滑らかな社会というのは、競争とか、奪い合いとか、西欧の思想を我々はやめて独自の思想を持つこと。 技術は何のためにあるのかをちゃんと考えて、動き出すこと。技術は、思いやりであり、競争に勝つためではない。 我々は、未来の人に希望を抱かせる技術の使い方をすべきなのだ。 想像力が我々の武器となる。困った人を助けようというのが、我々のセンサーなんだと思う。 滑らかな社会とは、助け合う狭い社会を作ることであり、インターネットに良い物理的に広いが狭い社会を作ることもできた。 新しい、信用社会を作ろう。誰がが常に一人勝ちをするということで格差ばかりを作るのではなく。 信用は、課税されない。コミュニティは、圧殺できない。 リーガルテックは、まさにその信用創造のために。必要なルール付けをすることになると思う。 いついつどこで、良いことをしたから記憶。それが信用される事実として。皆が信用を蓄積する時代。信用を略奪することもできない。 リーガルテックは、まさにその信用創造のために。必要なルール付けをすることになると思う。 いついつどこで、良いことをしたから記憶。それが信用される事実として。皆が信用を蓄積する時代。信用を略奪することもできない。